僕んちは母方が広島の出だ。 とはいっても、祖父母が北海道に来て以来ウチの両親は一度も広島に行ったことが無いという。 まあ距離が距離だし、おじいちゃんが去年何十年かぶりに行ってきたくらいだからそうそう機会も無いだろう。 だけどそんなまだ見ぬ地に僕は一度でいいから行ってみたいと思っていた。 本家っちゅーのはどんなもんなんだべと。 幸いなことに、広島と隣接している島根県には高校時代の友人が在勤しており、彼とは今でも地元でしょっちゅう遊ぶ間柄だ。 今回のプランに際し、本家と山陰方面の案内を快諾してくれた。 夏休みをお盆に合わせて取り、本家の方にも実家から僕が訪ねる旨連絡しておいてもらった。 |
AM8:05発のJAS203便にて羽田から広島空港へ向かい、現地に降り立つと島根の友人サトウ氏が待っていた。 前日ロクに眠らずにそのままやってきたらしく、かなりつらそうではあった。 僕は飛行機の中ですでにテンションが上がっていたので、早速空港付近を撮影しだした。 <広島空港> とりあえず彼の愛車レガシィB4に乗車し、広島市街を目指す。 空港から広島市まではなにげに遠く、いきなり高速に乗ることになった。 目当ては原爆ドームにお好み焼きだ。 1時間と経たないうちに広島市に到着し、駐車してから街をプラプラする。 そしたらすぐに原爆ドームと広島市民球場が見えてきた。 <原爆ドーム> <広島市民球場> 平和記念公園の資料館には膨大な当時の資料があり、凄惨さが痛いほどに伝わってきた。 それでも未だに世界では戦争が絶えず、いろんな国が相当量の核を保有している。 なんと嘆かわしいことなのだろうと思った。 外国人の観光客も多数来場していたが、彼らはどのように感じたのだろうか。 平和について柄にも無く考えてたら、無性に腹が減ってきたのでお待ちかねのお好み焼きを食べに行った。 本当に空腹だったので、写真を撮るのも忘れて速攻で平らげてしまった。 いやー美味かった。 せっかく広島まで来たんだから宮島も行ってみたかったのだけれど、のんびりしてる時間も無く、 次はいよいよ本家のある千代田町まで車を走らせた。 途中、トイレ休憩ってことで適当に道を曲がって行き着いた先は広島ではなく八王子だった。 いつの間に東京(しかも都下)に戻ってきちまったんだ? <確かに"八王子"と書いてあります> 八王子の謎は全く解明されないまま、再び車は千代田町を目指した。 あらかじめ本家付近の地図は入手しており、道に迷うこともなくそろそろ到着という時、 サトウ氏が言った。 「えーと、そこの家コバタね。あとそっちも」 !!ホントだ、コバタだらけじゃん!! 本家周辺の家は殆どが親類縁者とは聞いていたが、実際目の当たりにすると感動すら覚える。 「すげー!!」 感嘆していると今度はサトウ氏が「そこだわ」と車を停めた。 「リカーショップこばた」、ウチのおじいちゃんの弟(昨年他界)の店だ。 ここにおじいちゃんの弟の奥さんと、その息子さん一家が住んでいるという。 <ドキドキする・・・> 恐る恐る店内に足を踏み入れる・・・。 「すいませーん・・・先ほど電話しました旭川のコバタですけど・・・」 すると奥から優しそうなおばさんが出てきて迎えてくれた。 「よう来たねー」 カツコおばさんだ。 「本家のおじいちゃんちがね、あそこに見えるけん、行ってきんさい」 おおー、あそこにウチのおじいちゃんの兄にあたる本家のおじいちゃんが住んでるのか!! 僕は話もそこそこにおばさんに手土産を渡し、100メートルと離れていない本家へ向かった。 その家の表札には、聞いていた通りの名前が書いてあった。間違いなく本家だ。 呼び鈴を押してみる。反応が無い。 もう一度押す。やはり無反応。どうやら壊れているようだ。 戸を開けて、大きめの声で「すいませーん!!」と言ってみた。 そしたら中から体格こそ違うものの、うちのおじいちゃんそっくりの老人が出てきた。 「北海道のマサルの孫で、モトヒコといいます」 果たして理解してもらえるかどうか心配だった。うちのおじいちゃんも最近耳が遠くなってきてるし。 しかし心配をよそに、予想以上にはっきりした口調で本家のおじいちゃん(以下ヒデミおじいちゃん)は口を開いた。 「おーおー、よう来なすった!!」 一世代おいていきなりの弟の孫が登場したんだから、さすがに感激した様子。 とにかく今回のメインテーマである、本家の墓を参らせてもらうことに。 本家の裏に広がる田んぼと山の間に、墓はあった。 てっきり沢山の墓に囲まれてるのかと思ったら、本家の墓だけがポツンと。 真偽は定かでないがヒデミおじいちゃんが言うには13代続いてるんだとか。 <古くてすでに朽ちてきてます> <手前が新しい墓石> それにしてもこのヒデミおじいちゃん、齢90とは思えない元気さで、未だに車を運転してるのだという。 まあ、この界隈じゃあ危なくも無いか。 さらに若い頃はセスナの操縦もしていたとか。 <細い体でも元気いっぱい> <この辺を運転するなら平気かな・・・> 墓を参った後、ヒデミおじいちゃんの家にお邪魔し、通信兵だった戦時中の話などを聞いた。 部屋には戦争博物館の如く、大量のアイテムがあった!!終戦後に集めたらしい。 <終戦後に集めたという階級章など> 言い足りないくらいのお礼を言い、ヒデミおじいちゃんの家から再びカツコおばさんの店へ。 そこには配達から戻ってきていたカツコおばさんの息子、カツユキさんが居た。 「オウ!!よう来たね!!」 今まで僕が出会ってきた母方の親戚はほとんどが線の細い人ばかりだったのだが、このカツユキさんはかなりマッチョで豪快な人だった。 なんと夕食をご馳走してくれるという。 初対面なのに、うれしいじゃねーか!!(´Д⊂ そこからはもう、ひたすら飲まされ食わされ、そしてしゃべりまくった。 「ウチは酒屋じゃけぇ、酒は売るほどあるけんのぅ!!」 うううっ、いくら俺でもそんなには飲めないっす・・・ってくらい飲まされたのだが、すごく楽しかった。 そして夜10時に差し掛かったところで僕らは名残を惜しみつつも広島を後にした。 <ウチの親戚に商売やってるのがいるとは> 泊まっていけとの誘いも嬉しかったのだが、今回は過密スケジュールにつき遠慮させてもらった。 強い雨の降りしきる中で、しかもかなり路面状態の悪い山道をラリーのようにレガシィは走った。 僕はパンパンになったお腹のせいで苦しく、ウーンウーン唸りながら島根県の木次町に着くまでただ耐えた。 深夜1時、サトウ氏の家に到着し、初日の旅程を終えた。 |